【アドラー心理学】『幸せになる勇気』から学ぶ人生の選択 - モラハラ夫と添い遂げるのか -

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【アドラー心理学】名著『嫌われる勇気』に学ぶモラハラ対処法 - モラハラ夫の心理編 -

【アドラー心理学】名著『嫌われる勇気』に学ぶモラハラ対処法 - 被害者の生きるヒント編 -

では、『嫌われる勇気』をもとにモラハラ夫の心理や被害者の生きるヒントを読み解いてきました。

今回の記事では、『嫌われる勇気』の続編、『幸せになる勇気』をもとに、今後の人生の選択についてのヒントを得ていこうと思います。

『幸せになる勇気』とは?


『幸せになる勇気』とは、『嫌われる勇気』同様、アドラー心理学について哲人と青年が議論を交わすかたちで物語が進みます。

この本では、『嫌われる勇気』がアドラー心理学を概観する『大きな地図』だとすれば、『幸せになる勇気』は、アドラーの思想を実践し、幸福なる生を歩んでいくための『コンパス』だと表現されています。

『嫌われる勇気』において、アドラーの思想を知った青年が、その思想を自分の人生に取り入れようとする中で、ぶつかった困難が、この本での論点になっていきます。

日々、アドラー心理学をどのように実践していくのか、どうすれば、人は幸せになれるのか、について書かれた一冊です。

自分の心理

まずは、『幸せになる勇気』から、自分自身を振り返るためのきっかけとなるお話をピックアップしています。

ご自身はどうなのか、一緒に振り返ってみてくださいね。

心を表す三角柱

哲人が、カウンセリングで使用するという三角柱。

これは、私たちの心を表しているそうです。

あなたが座っている位置から見えるのは、三角柱の三面のうち、二面ですね。

その二面に書かれているのは、『悪いあの人』『かわいそうなわたし』。

カウンセリングに来る人たちのほとんどは、上記の二つのいずれかの話に終始するそうです。

それでは、座っている位置から見えない一面には、何が書かれているのでしょうか。

答えは、『これからどうするか』です。

私たちが語り合うべきは、まさにこの一点。

『悪いあの人』『かわいそうなわたし』に語り合うべきことは、存在しないのです。

『悪いモラハラ夫と、かわいそうなわたし』の話がよく登場すると思い当たる方は、『これからどうするか』について考えてみてください。

ぜひ、普段の自分自身のことを、振り返るきっかけにしてみてくださいね。

不幸な過去

あなたには、『不幸な過去』がありますか?

もし『不幸な過去』が存在するのであれば、この項目をお読みください。

あなたにとって、過去が不幸なままなのは、『いまの自分』に満足していないからです。

「あのときこうだったら・・・」と可能性の中に生きようとしています。

『いまの自分』を肯定しようとした結果、過去のすべては良い思い出になります。

『いまの自分』を受け入れ、満足したならば、『不幸だった過去』すらも、良い思い出になることでしょう。

もし、『いまの自分』を肯定できていないのであれば、今後、肯定できそうですか?

モラハラ夫から否定され続ける日々では、自分を肯定することは、難しいことと思います。

あなたは、かけがえのない人です。

それを実感できない環境であれば、その環境から離れることも、検討して良いのではないでしょうか。

ドクターポジティブイ

モラハラ夫の心理

次に、モラハラ夫の心理と行動について読み取れることについてお話していきたいと思います。

モラハラ夫は、どのような心理によって、暴言を吐き、私たちを支配しようとしてくるのか、一緒に考えていきましょう。

暴力行為

言語によるコミュニケーションは、時間や労力がかかり、自分勝手な要求は通らないものですよね。

そこで、この議論にうんざりした人や、議論に勝ち目がないと思った人が、最後に選択するコミュニケーション手段が暴力です(暴言も含みます)。

暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段です。

手っ取り早く相手を屈服させようとしており、人間として未熟な行為と言わざるを得ません。

つまり、モラハラ夫は、精神的に未熟なのです。

保身

私たちは、他者の指示を仰いで生きていく方が楽です。

この本では、大人と子どもを例に話が進められます。

大人は子どもを未成年の状態においておきたいがために、自立することのリスクや恐ろしさを吹き込みます。

それは、自分の支配下においておきたいという心理によるものです。

自立されることが怖く、すべては自らの保身です。

この話は、お子様のいらっしゃる方には、耳の痛い話ではないでしょうか。

ご自身が、わが子にどう接しているかを見直すきっかけになるかもしれません。

また、同時に、『モラハラ夫→被害者妻』にも当てはまる話です。

あなたが自立することが怖いからこそ、自らの保身のためにあなたを支配しようとしているのです。

運命の人は、いない

アドラーは、運命の人はいないと考えました。

「出会いがない」と嘆く人も、毎日のように誰かと出会っています。

ありもしない理想を持ち出すことによって、生きた人間とかかわりあいになることを回避している、というのが「出会いがない」と嘆く人の正体です。

それでは、運命を感じた相手と一緒になった人というのは、どういう考え方をすればよいのでしょうか。

それは、あらかじめ定められた運命だったのではなく、『運命だと信じること』を決意したに過ぎないのです。

フロムは、「誰かを愛するということは、たんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、結果である。」と述べています。

また、「愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかにしか愛することができない。」とも述べています。

つまり、運命とは、決断し、自らの手でつくり上げるものなのです。

あなたの結婚は、「相手と一緒に、幸せになりたい」と望んでのものでしょうか?

その裏側には、「結婚することによって、楽になりたい」という心理は、ありませんでしたか?

もし、後者の気持ちがあったのであれば、「愛する」ということを知らず、「愛する」決意が足りなかったと言えます。

愛する勇気、それはすなわち、幸せになる勇気です。

「楽をしたい」「楽になりたい」で生きていたら、つかの間の快楽を得ることはあっても、本当の幸せをつかむことはできません。

私たちは、他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放され、自立することができるのです。

また、『落ちる愛』について、以下のように説明されています。

落ちる愛は、本質的には物欲と同じです。それを獲得し、所有し、征服したかっただけなのです。

私は、まさにモラハラ夫にとって所有物であり、征服されていたと感じます。

また、「結婚によって楽になりたい」と言う気持ちが、少なからずありました。

つまり、私たちの結婚は、「愛する」決意が足りなかったのです。

さて、あなたはいかがでしょうか。

モラハラ夫と、今後の人生をも添い遂げる決意が、できそうですか?

まとめ

今回は、『幸せになる勇気』から、アドラーの思想に触れ、今後の人生の選択をしていく上で、考えるきっかけになるところをピックアップしてきました。

モラハラ夫の心理を読み解くことができ、納得する場面もありつつ、自分自身に当てはまる項目については、胸が苦しくなる思いをされた方も多いかもしれません。

この本には、次のようにも書かれていました。

『われわれは、未来が見えないからこそ、運命の主人になれる。

未来が見えないということは、未来に無限の可能性があるということだ。』

あなたの未来にも、無限の可能性があります。

あなたの人生は、あなた自身のもの。

今後の人生を選択していく上で、考えるきっかけになると嬉しいです。

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お読みいただき、ありがとうございました。

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