モラハラ被害に遭っている時期、モラハラを知って洗脳から抜けた時期、私はモラハラ夫を恨みました。地獄に落ちて、苦しんでほしいと願いました。
仕返しの方法を検索しては、自分にはできない・・・と心が折れる、ということを繰り返し、結局仕返しという仕返しはできずに、現在に至ります。
離婚後数年が経過した今、私は、モラハラ夫のことを恨んでいません。生きていようが、死にそうだろうが、無関心です。
どうでもよい存在ですが、私と出会って、成長させてくれたことに関しては、むしろ、感謝しているほどです。
どうして憎くて仕方がなかったモラハラ夫に、感謝するまでに至ったのかを、今回は考察してみたいと思います。
自分の弱さと向き合えた
モラハラ夫との結婚生活や、離婚までの道すじにおいて、私は嫌でも、自分の弱さと向き合わざるを得ませんでした。
・人に嫌われたくない気持ちが強く、断れない性格であること
・依存体質であったこと
・物事に執着し、変化を恐れていたこと
上記に示したのは、私の性格です。
今も、名残りはあると思いますが、自分自身の弱さを自覚することができたので、気づいたときに自力で方向転換することができるようになりました。
モラハラ夫と結婚したのは、自らの弱さによるものだったと感じます。
もちろん、それはモラハラをして良い理由にはなりません。
ハラスメントが許されないものであることは大前提ですが、自分がハラスメントを引き寄せやすい性質だということを知っておくことが、ハラスメントへの対処のひとつだと感じます。
おそらく、モラハラ夫に出会っていなかったら、私は、今も誰かに縋り付き、依存する日々を送っていたことでしょう。
強制的に環境を変えてくれた
上記で述べた通り、過去の私は変化を恐れて行動に移せないタイプでした。
しかし、モラハラ夫と結婚したことで退職せざるを得なくなり、モラハラを受け続けることで別居に至り、モラハラ夫に訴えられたがために離婚することになり・・・と、変化を好まない私でも、変化せざるを得ない環境にしてくれました。
モラハラ夫との日々で環境を変えてきたことが、私の中でおそらく成功体験として積み上がったのだと思います。
現在は、多少悲観的な出来事が起きても、『どうにでもなる』と思えるようになりました。
守る存在を与えてくれた
子どもと出会わせてくれたのも、モラハラ夫です。
もし、妊娠前に離婚していたら、私は自分一人で生きていけば良いので、フラフラとしていたことだろうと想像します。
しかし、現在子どもと暮らしているため、フラフラしてはいられないのです。
子どもがいてくれることで、気持ちを奮い立たせてくれます。
多少のことでは、へこたれなくなりました。
子どもと過ごす日々は、幸せです。
もちろん、父親を奪ってしまったことに対して、申し訳ない気持ちはあります。
でも、『私が一人二役で、この子のことを幸せにする』とめげずに考えることができるようになったのは、モラハラ夫との日々があったからでしょう。
結果的に自信を得た
もともと自己肯定感の低い私は、モラハラ夫の洗脳により、更に自信を失う日々でした。
どん底まで落ちた私の自己肯定感でしたが、落ちるところまで落ちたので、あとは上がるしかありません。
モラハラ夫と別居した私は、少しずつ回復し、自分にできることを少しずつこなせるようになりました。
環境を変えてみると、周囲から認めてもらう機会も増え、自信に繋がることが多くなりました。
『こんなに無価値な人間が、なんのために生きているのだろう・・・』というネガティブ思考から、
『世の中のために、自分にできることはなんだろう?』と、ポジティブな方向に考えられるようになりました。
以前の自分だったら、おそらく自分のことしか考えていませんが、離婚を経て、現在に至るまで、たくさんの方の支えがあったことを痛感しているからこそ、社会に恩返しがしたいと思えるようになりました。
モラハラ夫と結婚していなければ、この心境の変化はなかっただろうと思います。
まとめ
今回は、モラハラ夫と離婚して、モラハラ夫を恨まなくなった理由を考察してきました。
今でこそ、恨まなくなりましたが、離婚騒動中、モラハラ夫のことを心底恨んでいたことは、間違いありません。
離婚騒動が決着したとき、弁護士の先生に「最初お会いしたときは、目だけで人を殺せそうな勢いでした」と言われたほどです。
目で人を殺せそうなくらいに、モラハラ夫のことを憎んで、恨んで、悔しい思いをしたからこそ、今が幸せなのかもしれません。
ひとつだけ言えるのは、今幸せなことが、モラハラ夫への最大の仕返しです。
「俺がいないと生きていけない」などと言われ、蔑まれましたが、現在の私は、自分の足で立って、幸せに生きています。
モラハラ夫がくれた言葉は、ある意味私の心の支えになっているのかもしれません。
お読みくださったあなたにも、明るい未来が来ることを祈っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。